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食という仕事に従事する者として・・・
調理師 6次産業化プランナー 小坂 健太(2019-01-24 08:58:17)

クリックで写真を拡大 私は石川県金沢でフランス料理店の息子として生まれ、子供のころから食に親しんで育ちました。
子供のころの忘れられない味の記憶として「銀座レカン」で食べた「フォアグラのテリーヌとブルーチーズ」があり、お皿まで舐め廻して親にひどく怒られました。
そんな幼少期を過ごし、自然と食の世界に入っていきましたが、自身の父がオーナーであった為、私はシェフとして料理を作れた方が良いのだろうと、料理の道に進むことになります。
東京のホテル専門学校でサービスと経営を学び、札幌のレストランで料理の修行に入りました。最初は賄いの担当で、お鍋で毎日同じようにお米を炊き上げる難しさを通して、料理を作る為に必要なことを学び、最初に買った料理本は「365日のおかず」でした。
賄いを作ることから多くの料理の基礎を学び、毎晩毎晩すすきので飲み歩き、いろいろな方面の友達ができ、最初は一人ぼっちだった札幌LIFEも、充実したものになっていましたが、24歳の時にフランスに料理修行に行く決断をします。
小学校の卒業文集に書いていたことが後で判明しましたが、「フランス人と結婚して、ハーフの子供を持つ」という夢は残念ながら叶いませんでしたが、運よく三ツ星レストラン2軒と町場のビストロ2軒で修行する事ができました。
渡仏した当初は、「テレビを買うか音楽プレイヤーを買うか?」と悩んだぐらい荒んだ生活ではありましたが、今思えばあのころは、色んなことで取捨選択する事を学んだ、本当に生きる事に一生懸命な時期でした。
何のつてもなく、単独渡仏したフランス生活ですが、3年間一度も帰国していなかった事や、日本の働きたいレストランの空きもでたなど、色々なタイミングが重なり一度帰国することにしました。
この時29歳。フランス帰りで鼻高々で仕事をしておりましたが、そんな鼻も瞬く間に「ポキッ」と折られてしまい、料理人としての道が見えなくなったものの、やはり食の仕事が好きだという溢れる想いから、フランス料理以外の食の道に進み始めます。
このような20代をがむしゃらに働き遊んだ経験から得たものが、今の私を支えてくれています。食の世界に生きるものとして料理ができるという事は大きな武器となりました。
フランス料理店から始まった食の仕事は、惣菜業・カフェ・ケータリング・ベーカリー・グロッサリーストア・居酒屋・スーパー運営などの業態を経験し、仕事の役回りとして、料理長・店長・スーパーバイザー・商品開発・マーチャンダイザー・バイヤー・事業企画などの職務を経験していく事となるのですが、食の仕事をすればするほど川上に登っていき、1次生産を盛り上げることが日本の未来を創る事になるのではないかと思い、現在はリアルの世界から離れ、自身も新しい挑戦の場として、株式会社USENでWebのBtoBの食の流通を行う「REACH STOCK」と言う社内ベンチャーの事業に参画しています。
40歳を超え、今までの経験が誰かに必要としてもらえるという事をほんの少し実感でき、サラリーマンとして勤務しながらも多方面で食の仕事に関わらせて頂き、働けていることが、今の時代の「働き方改革」ではないのかなと感じ、人生は挫折の繰り返しで、立ち上がるたびに一つ強くなれ、その積み重ねが、「運」を引き寄せるのだと信じ、日々精進しています。出口のないトンネルは無いです!
これから自分の人生がどう流れていくのかは分かりませんが、我々も先代から与えられた時代で生きているように、地方創生という形も含め、次の世代に少しでも残せる時代を作って行きたいと思っております。

● 参考URL
Facebook https://www.facebook.com/kenta.kosaka1
REACH STOCK https://reachstock.jp/
6次産業化プランナー https://rokusapo.com/planner/42

投稿者名(2017/10/28 15:00:00)
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