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小さな島から社会を変える

阿部裕志氏

島根県隠岐郡海士町
株式会社巡の環
代表取締役 阿部 裕志 氏

本土からフェリーで約3時間、日本海に浮かぶ隠岐諸島にある海士町(あまちょう)は、いまや地方創生の最先端の町だ。山内道雄町長のリーダーシップのもと、財政改革を行い、島をまるごとブランド化する攻めの戦略を進めた結果、共感した若い世代が移住してくるようになった。「巡の環(めぐりのわ)」は、海士町にIターンした3人の若者が2008年に立ち上げたベンチャー企業で、地域づくり・教育・メディアの3つを軸に事業を展開している。

主な取り組み

◎地域づくり事業(地域に根ざす)
 ・行政からの委託事業(海士町版地方創生総合戦略策定の事務局、海士の本氣米プロジェクト、海士町景観計画づくりなど)
 ・町内団体への組織開発コンサルティングなど
 ・村上家資料館指定管理
◎教育事業(地域から学ぶ)
 ・「海士五感塾(人間力を磨くプログラム)」の開催
 ・「めぐりカレッジ(地域を担う人材の養成プログラム)」の開催
 ・企業向け研修プログラムの提供(株式会社日立製作所、イオンリテールワーカーズユニオン、サントリー労働組合、味の素労働組合、復興庁など)
◎メディア事業(地域を伝える)
 ・海士の特産品を売る通販サイト(海士Webデパート)の運営
 ・Web制作
 ・島外(主に東京)で開催される、海士の人や食材を通じた交流イベント「AMAカフェ」の開催
 ・島内情報共有SNS「あまだねくらぶ」の運営
 など

「ないものはない」を合言葉に、小さな島の総力戦

ないものはない

海士町の玄関口にある「キンニャモニャセンター」

――阿部さんはトヨタを辞めて海士町に移住し、「巡の環」を起業されました。何がきっかけになったのですか。


阿部:より早く、より安く、より良いものをつくっていくという競争を世界のなかでやっていくと、やはり一緒に働く関連先メーカーや競合他社に皺寄せがいきます。特に今は生き残りのパイが小さくなっていて、落ちこぼれていく人が多いし、残った人も何か後ろめたさを感じています。今の社会の成り行きの延長には、僕たちにとって幸せな社会はやってこないのではないかと思いました。次のステージとして、もう少し共存していける社会のあり方を模索できないかと考えていた時に、海士町という島があって、島まるごとで持続可能な社会を目指しているという話を聞いて、遊びにきたのがきっかけです。


――なぜ海士町だったのでしょう。ほかは検討されなかったのですか。


阿部:ほかと比べたわけではないですが、魅力的な町長がいて、課長たちがいて、Iターンした先輩や地元の若い仲間が島を良くしようと一所懸命にやっています。これだけ恵まれた環境で文句を言うようなら、自分はどこに行っても文句を言うだけだろうと思いました。

 役場の職員も、未来を見て動いています。目先のことではなく、明日の子どもたちのために何をすべきかという正論を、真剣に議論します。僕は、こういう町に住んで、一緒に町を良くすることに関わりたいと思いました。


――海士町は「ないものはない」をキャッチフレーズに、行政と住民が一体となって島おこしに取り組んでいます。もともと住民の意識が高い地域なのでしょうか。


阿部:島のさまざまな問題を“他人事”ではなく“自分事”として捉えている人が、圧倒的に多い気がします。これは小さな島の特徴だと思いますが、加えて、海士町が町村合併しないという判断をしたことが大きかったと思います。

 これは僕たちが来る前のことですが、町村合併の可否を決めるにあたって、町の職員は14集落を回り、財政のシミュレーションを見せて説明したそうです。その時、海士町の財政は破綻寸前で、まず町長が、自分の給与をカットすると言い出しました。すると課長たちは、自分たちの給与もカットしてほしいと町長に談判し、職員組合は賃下げ交渉をしたらしいです。教育委員も町議も自ら報酬をカットし、島民もそれを知っているので、バス料金の値上げをしてほしい、補助金を返上するといった声が島民から上がったそうです。この危機感の共有は大きかったのではないかと思います。

島を学校に、持続可能な社会の担い手を育てる

――「巡の環」の最終目標は、島に学びの場をつくることだと伺いました。なぜ、海士町で教育事業を始めようと考えたのですか。

阿部:起業当初から、持続可能な社会の担い手を育んで世界に広げたいというビジョンがありました。海士町がこれからの社会のモデルとなり、その海士町に学びの場をつくることで、ほかの地域を良くしていく人を広げていく。そうすることで海士町だけでなく、日本や世界が良くなるという仕組みを自分たちでつくっていくのだと、そういう意気込みだけで立ち上げた会社です。今の社会のあり方に疑問を感じていて、では、どうやって次の社会を広げていくのか。小さな町にモデルをつくって、そこに人が学びにきて広げていく、そういうことをやりたいという方向で、3人が一致していました。

――事業を始めてみて、何が一番大変でしたか。

阿部:何もかも初めてなので、毎日大変な思いと新しい挑戦へのやりがいを同時に味わっています。特に「巡の環」のビジネスには制約が多いので、資金不足に陥らないようにどう資金を回していくかに苦労しています。
 制約というのは、例えば、僕たちは“三方良し”をモデルとしているので、自社だけが儲かるような商売は決してしません。また、旅費や時間をかけて、わざわざここまで研修を受けにきていただくためには、プログラムを研ぎ澄ます必要があります。さらに、僕たちの事業は、地域の信頼がないとやっていけません。信頼の貯金とキャッシュフローの両方が黒字になるようにビジネスをつくっていくのは、かなり大変です。

大事なのは、地域が課題解決を諦めないこと

村上家資料館外観 村上家資料館内観

海士町の旧家を改装した村上家資料館。「巡の環」はこのなかにある

――いくつか研修プログラムを実施されているなかで、地域コーディネーターを養成する「めぐりカレッジ」について教えてください。


阿部:「めぐりカレッジ」は、地域の担い手を育てて、海士以外の地域を良くしていくための事業です。入門コースでは2泊3日の合宿を、中級コースは半年間のプログラムで、3泊4日の合宿のあと、それぞれが地方で実践している活動をオンラインでサポートします。スカイプなどを使って、ケーススタディによる学習、個別カウンセリングやグループディスカッションを行い、半年後に成果報告発表のイベントを主に東京で行います。現在は入門コースのみを行っています。


――合宿ではどういうことを学ぶのですか。


阿部:地域について学ぶ座学だけでなく、フィールドワークやワークショップを行います。フィールドワークでは地元で活動している人の現場に赴いて背景を探ったり、ワークショップではさまざまな手法を使いながら地元の方と深く対話したりするなかで、参加者の意識が変わっていきます。「巡の環」の研修は、知識や技能を学ぶというより、意識が変わることを目指しています。“自分事化”とか“当事者意識”というように、意識が変わらなければ行動も本当には変わりません。


――地域コーディネーターとはどういう人材なのでしょうか。


阿部:地域コーディネーターとは、「いなかセンス」と「とかいセンス」を合わせ持つバイリンガルのことです。「いなかセンス」は「その地域の想いをちゃんと聴ける力」で、「とかいセンス」は「その想いをちゃんとお客様に届けられる力」と僕たちは定義しています。

 地域の課題はきりがなくて、きっといつの時代にもなくなることがありません。大事なのは挑戦し続けることで、この人口減少社会ではギブアップした地域から消えていってしまうのが正直なところでしょう。地域の課題はいろいろで、内部だけで解決しようとしてもできることには限界があるので、地域の想いを受け止めながら、外部を巻き込んでいく能力が求められます。「めぐりカレッジ」は、そういう人材を育てようとしています。


――今後、どのような事業展開を考えていますか。


阿部:3つあります。1つは、一緒に起業した信岡良亮が、東京に拠点を移して「地域共創カレッジ」を始めました。都会側から、都会と田舎の共創関係をつくり出していこうというものです。宮城県女川町、岡山県西粟倉村、徳島県上勝町と神山町、そして海士町の5つの地域が関わっていて、都会にいながら地域に関わって何ができるかを、身銭を切って学びにきている方が今、20人います。今後、彼らのような地域の応援団とどういう関係性を築いていくのかが重要になってくると思います。

 もう1つ、ビジネス・ブレークスルー(BBT)大学とのコラボで、海士町にサテライトキャンパスを置くというプロジェクトが始まっています。BBT大学の学生が海士町に住んで、オンラインで授業を受けながら、現場で実践して地方創生を学ぶことを始めています。

 3つ目として、地方創生の一環としてJICAと海士町が提携をして、アフリカ諸国など発展途上国から研修生が学びに来ることも始まりました。都会のように便利さを追求するだけでなく、地域にあるものを見つめ直して自分たちらしく生きていこうという、「ないものはない」という海士町の精神が、先進国と比較してないものねだりをしがちな発展途上国の方々に新たな気づきをもたらし、道しるべになりうることを実感しています。

 将来的には、海士MCA(Master of Community Administration)大学院を構想しています。MBAはビジネスですが、MCAはコミュニティについて学ぶ。地域、国、会社の組織など、コミュニティ(=人の集まり)をより良くするための1年間の学びのコースをつくって、海士町で学んで修士号が取れるようなことを事業としてやりたいと考えています。


■ ■ ■


プロフィール

阿部裕志氏
阿部 裕志(あべ・ひろし)

1978年愛媛県生まれ。京都大学大学院修了。トヨタ自動車株式会社に入社。生産技術エンジニアとして新車種の立ち上げ業務に携わるが、現代社会のあり方に疑問を抱き、2008年海士町に移住。持続可能な未来へ挑戦する人づくりを目的に、株式会社巡の環を仲間とともに設立。2011年より海士町教育委員。信岡良亮氏との共著に『僕たちは島で、未来を見ることにした』(木楽舎)がある。

DATA

組織・団体名  株式会社巡の環
住所      〒684-0403 島根県隠岐郡海士町大字海士1700-2
設立      2008年
Webサイト   http://www.megurinowa.jp

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