ちいきん会特設コーナー

 (取材・構成 プレジデント社地方創生プロジェクトチーム) 

地方初開催となる「第3回 ちいきん会in福島」を記念した特別コンテンツです。

HealtheeOne 異業種や市民を巻き込んでの医療の業務支援で、地域課題の解決を目指す

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東日本大震災と原発事故に直面し、医師不足や救急医療体制の整備に悩む福島県いわき市。ここに2015年、医療の業務支援を目指すベンチャー企業、HealtheeOneが誕生した。
元大手商社マンの社長は、同じ思いを持つ地元金融機関の協力を得て、地域課題の解決に乗り出した。


福島市で開かれたちいきん会の会場には、テーマピッチに登壇したHealtheeOneの小柳正和氏に加え、同社を支援するいわき信用組合の本多洋八氏の姿もあった。いわき市を舞台にしたベンチャー企業と地域金融機関の取り組みを紹介する。


父親の死を契機に、商社を退職して起業へ


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 2019年10月半ばに襲来し、豪雨により東日本各地に大きな被害をもたらした台風19号。福島県浜通り南部に位置するいわき市も、多くの河川が氾濫し、多くの家屋が浸水するなど、甚大な被害を受けた。


 そのいわき市で、浸水被害を受けたクリニックなどの医療機関に対し、被災した紙のカルテ等のデジタルアーカイブ化の作業を、無償で提供することを申し出たベンチャー企業がある。それが株式会社HealtheeOne、社長は小柳正和氏である。


 小柳氏は1976年にいわき市で生まれ、県立磐城高校から慶応義塾大学理工学部電気工学科に進み、99年に伊藤忠商事に入社。通信・メディア関係の部署で事業戦略の立案と遂行を担当する。


 伊藤忠商事の携帯電話販売事業の分離独立戦略を立案・実行して株式を上場。パリにあるビジネススクールに学び、MBAを取得して帰国。また携帯電話端末の保険事業をアメリカの企業と合弁で立ち上げ、NTTドコモ向けのサービスを開始し、5年後には3000万の加入件数と顧客満足度95%を実現。ともに売上高は1000億円を超えた。そうしたビッグビジネスを、入社から10年あまり、三十代の前半までに、文字通りゼロから短期間に立ち上げた。


 総合商社といえども、それだけの売り上げを持つビジネスを、立て続けに立ち上げた例は、そうそうあるものではない。「ラッキーだった」と謙遜するが、小柳氏はまさに、絵に描いたようなエリート商社マンだった。


 その後、小柳氏は2011年に退職。スイスのネットワーク仮想化ソフトウェア開発のベンチャー企業の立ち上げに参画した後に、故郷のいわき市で起業した。傍から見れば、約束された将来を捨ててまでと思えるが、なぜ地元で創業することに決めたのだろうか。 「契機となったのは父のガンの発覚と死です。私が留学をしていた2008年の5月に、父は10年間有効のパスポートを取って、パリに遊びに来ました。父にとっては、それが初めての海外旅行で、楽しく過ごして帰国したのですが、半年も経たないうちに、末期の肺ガンだと告知されたのです。びっくりしました」


 小柳氏は2009年1月に留学先から帰国。当初、父親は入院していたが、終末期に入り在宅での療養を選択する。「実は、父のガン判明前は彼が認知症の祖母を自宅で介護していました。父のガン闘病にあたって幸い祖母は介護施設に入ることができ、母が休職して自宅で父を看病することに」。東京勤務の小柳氏は毎週末、高速バスでいわき市に通う生活を始めた。


「その時、地域医療の現実を目の当たりにしたのです。介護制度や医療サービスなど医療制度は、当事者にならないと分からない。自宅での看取りを選択できたのですが、そもそも死ぬところを探すのは大変だということも分かりました。父は2009年の5月に亡くなるのですが、61歳でした。当時、私は32歳。自分の中でカウントダウンが始まったのです」


 小柳氏の祖父は2005年に91歳での大往生だったが、その4年後に父親が61歳で亡くなり、その時点の小柳氏は32歳だった。



「30年を人生の単位に考えはじめました。自分の人生はもしかしたらこれまでかもと思ったのです。父の年齢までもあと30年。残りの年月で、自分は何ができるのだろうかと」


 父親の自宅での看取りをきっかけに、小柳氏は福祉・医療のサービスや政策の勉強を始める。


「地域医療の現場で、いまこの時代を生きているわれわれが、どう幸せに生き、満足を感じ、納得して人生を終えられるのかを軸に考えました。他力本願で黙って待ってはいられない」


 それは医療従事者の側でも同じで、サポートをしていきたい。震災後のボランティア活動を経て、会社を立ち上げることを小柳氏は決意した。