ひろしまブランドショップ「TAU」

アンテナショップの2大巨頭の一角を崩した
ひろしまブランドショップ「TAU」の躍進

“目立たない店”を大人気店に転換。村上祥平店長に聴く、幅広い客層に愛される魅力的な店づくり

 ひろしまブランドショップ「TAU(タウ)」(以下「TAU」)の躍進が話題になっている。都内には、自治体が主体となって設立した「自治体アンテナショップ」が79軒ある(2019年4月1日現在、一般財団法人地域活性化センター調べ)。 
 その中で、長年、年間売り上げの1、2位は「北海道どさんこプラザ有楽町店」と沖縄の「銀座わしたショップ本店」だった。特徴的な特産品が多く、店舗の立地も抜群のこの2店は“永遠のツートップ”と思われたが、2012年7月に「TAU」が開店すると、数年の間に売り上げで肩を並べ、ついに2019年度には一角を崩して2強に躍り出た。年間売り上げも10億円を突破。開店半年後に26歳の若さで店長に就任し、「TAU」を人気店に押し上げた村上祥平さんに、足跡をうかがった。

若くして店長に就任し「TAU」を人気店へと押し上げた村上さん
店名の「TAU」は広島方言で「届く」を意味する「たう」に由来

 「TAU」があるのは、銀座ガス灯通りとよばれる路地に面した一角だ。入り口が狭く、知らないと通り過ぎてしまいそうだが、一歩店内に入れば、平日でもたくさんの買い物客でにぎわっている。主に、1階は食品、2階は酒や熊野筆が並び、3階と地下1階は飲食店。40代50代の主婦層に加え、若い女性や男性会社員など客層が幅広いのが特徴的だ。
 けれど、最初から順調だったわけではない。

  • 店舗入り口

  • 1階の食品売り場
    売り場は平日から多くの買い物客で賑わう

まず学んだのは「コンテンツを際立たせること」

 「オープンして最初の1、2カ月は『人に認知してもらうことの難しさ』を痛感しました」と村上店長は話す。村上さんは広島県福山市出身。実家が経営する会社が広島県から「TAU」の運営業務を委託されることが決まると、「ぜひやりたい」と志願して、商品の選定や人材採用など立ち上げの準備から関わった。待ちに待ったオープンだったが、建物の構造上、のぼりなど派手な装飾もできず、店舗自体は目立たなかった。すぐ前にいるお客様から「場所はどこですか?」と電話がくることもあったという。
 店頭に立っての呼び込み、チラシ作りや新聞の折り込み広告、近隣へのポスティング、さらに広島県出身の著名人を招いてのイベントなどを地道に続けた。「イベントも、ただ開催するだけでは在京メディアは取り上げてくれません。『何があるのか』というコンテンツを際立たせることが大切だと学びました」という。その経験から、開店した年の冬に、「広島といえば牡蠣」のイメージを生かそうと、1階に季節限定の「オイスター・バー」を設けた。これがヒット。近隣の会社員が帰りに立ち寄るようになり、インターネットからの注文も増えた。「これで少し弾みがつきました」(村上さん)。

“人が行かない2階”の活用が飛躍のカギに

 「買ってもらえる店にするにはどうしたらいいか」を試行錯誤する中で、一番重視したのは「お客様の要望」、それから「在京の広島県人の声」だという。「実際に利用してくださるお客様と、心から『TAU』を応援してくれる県民の方たちのアドバイスに従って、品ぞろえや店の雰囲気を変えていきました」と村上さん。当初は“銀座”を意識しすぎて、もみじ饅頭もデパートのように箱詰めで並べたが、手に取りやすいようにバラ売りにし、20種類以上をそろえた。
 1階の食品は少しずつ売り上げを伸ばしていったが、苦労したのは、ショールームのような雰囲気であまり人が行かない2階だった。けれど、年間売り上げ10億円を突破した要因は、この2階を活用できたことにあるようだ。県内の約500品目の酒を集めて「広島酒工房 翠」を設け、気軽な価格で試飲ができるカウンターを作った。日本酒を打ち出したイベントがヒットすると、近隣のアンテナショップと連携して「ぶらり銀座一丁目 酒まつり」に発展させ、相互送客ができるようにした。また、球団の広島東洋カープが優勝すると2階の関連グッズの売り場も広げた。「広島県民の方が来店してもくつろげないような雰囲気」(村上さん)の店が、居心地よく変わっていった。

  • 2階の「広島酒工房 翠」

  • 「広島東洋カープ」関連グッズ売り場