ホーム日本全国 地域の宝 郷土食×地方創生食でかがやく「まち・ひと・しごと」宮城県気仙沼市『気仙沼市役所』(1/3)

宮城県気仙沼市『気仙沼市役所』

震災復興で強まった絆が「食」と「ホストタウン」でさらに深まる

 2011年3月11日に発生した「東日本大震災」から9年。東北の地は幾多の困難を乗り越えながら、復興に向けて着実に前進し続けている。そして東京オリンピック・パラリンピック競技大会(以下、東京2020大会)開催を前に、東北各地では『復興「ありがとう」ホストタウン』(※1)という国際交流活動が本格的に動き始めた。なかでも宮城県気仙沼市は、「食」をテーマにした取り組みが活発化し、注目され始めている。現地に訪れてみると、震災復興で強まった海外との絆が、市民レベルでさらに深まりつつあるようだった。

<気仙沼市>
https://www.kesennuma.miyagi.jp/
宮城県の北東端に位置し、人口約6万3千人。太平洋に面し、変化に富んだリアス式海岸を形成、世界三大漁場の一つである三陸沖を目前に控え、古くから水産業を基幹産業に発展してきた。生鮮カツオ、サメ、メカジキの水揚げを中心に、なかでも生鮮カツオは23年連続日本一を達成するなど、全国屈指の水産都市である。

 インドネシア共和国(以下、インドネシア)との関係は古く、遠洋漁業が盛んだった約30年前から、インドネシアの乗組員が多数乗船するようになった。近年は、漁船乗組員に加え、水産加工場、建設業などを行う技能実習生を、インドネシアから受け入れている。

「本場の料理のコツがわかった」 「お母さんと料理している気分」

2020年2月23日(日)、気仙沼魚市場内「クッキングスタジオ」で行われた
「食を通じた交流会」の様子

当日は地元テレビや新聞のほか、関西からのテレビ取材も
インドネシアのインフルエンサーの取材(写真)も入り
全国的、世界的な注目度の高さが窺えた

 2020年2月23日(日)10時半。前年に気仙沼市が魚市場内に整備した新施設「クッキングスタジオ」は、地元気仙沼市民と、気仙沼で技能実習生として働くインドネシアの人達など、総勢約50名で埋め尽くされていた。
 このインドネシアと気仙沼市民の「食を通じた交流会」を中心となり企画運営したのは、気仙沼市震災復興・企画部 地域づくり推進課だ。市民とインドネシアの人々が入り混じり、6グループに分かれ、配布されたレシピを見ながら、調理方法を相談しはじめた。簡単な日本語での会話だが、国籍の壁は感じられず、テキパキと役割分担が行われ、調理が始まった。
 料理は、インドネシア料理の「ミーゴレン(インドネシア風焼きそば)」「サテアヤム(インドネシア風焼き鳥)」の二種、日本料理の「大根とゆずの酢の物」「わかめスープ」「おにぎり」の三種。インドネシア料理については、市民がインドネシアの人々に尋ね、逆に日本料理に関しては、インドネシアの人々が市民に尋ねる。質問時は真剣な面持ちだが、理解すると笑顔が溢れる。料理は6グループとも約1時間半で完成。見た目はグループごとに多少異なるものの、概ね仕上がりは上々。良好なチームワークが感じられた。
 その後、料理を取り分け実食。その際も両国の人々は入り混じって座り、「サテ(サテアヤムのこと)の味付けが丁度良かった」「焼きそばは日本人好みの味付け」と、まさに近所の人々の会話のような和やかな雰囲気で、2カ国の食事を楽しんでいた。
 食事後、気仙沼市民、インドネシアの人々、それぞれ感想を発表。気仙沼市民の女性は「この会を楽しみにしていた。インドネシア料理の作り方にも興味があり、自己流ではうまくいかなかったけど、本場の人からのコツを聞き、本格的な味になった。さっそく家で試したい」と笑顔で語った。一方、インドネシアの男性は、「久しぶりに本場のミーゴレンやサテを食べることができた。お母さんと一緒に料理をしている気分だった」と満足そうに語った。
 終了後、先ほど感想を述べた女性に、なぜこの会を楽しみにしていたのか?と尋ねてみた。すると、本当に楽しかったことが伝わってくる、満面の笑みをたたえながら、答えた。

 「気仙沼で暮らしていると、インドネシアの人たちと毎日のように顔を合わせます。彼らはみんな礼儀正しく挨拶してくれて、好感を持っていました。機会があればもっと話したいと思っていましたが、日常生活ではせいぜい挨拶ぐらいで終わってしまう。ですので、こういう時間をかけて交流する機会を待っていました。これからももっとこういう場を作って欲しいですね」

 この「食を通じた交流会」は、同年1月19日(日)にも開催。この日の会と同様、会場は満席状態で、みな交流できたことに満足な様子であったという。